承継
日本文化の象徴・相撲を作り上げた力士、心よりお悔み申し上げます。

本名:小畑 敏満(おばた としみつ)
戒名:弘照院殿北偉徳実法湖大居士
墓地
※北の湖のお墓は3カ所あり、ご実家の北海道壮瞥町、川崎大師、大阪の成恩寺に分骨されています。(北の湖が川崎大師の檀徒で、毎年参詣されていました。奥さんの出身地が川崎)

北海道壮瞥町生まれ。四股名の「北の湖」は、故郷にある洞爺湖にちなんで9代三保ヶ関が命名した。北の湖は改名の多い角界においては、初土俵から引退まで一度も四股名を変えたことのない珍しい力士だった。
北の湖敏満(1953~2015) : 有名人の墓巡り~昭和の著名人と出会う旅~
昭和50年代の土俵に君臨した大横綱で、その強さは双葉山、大鵬をしのぐとも言われ、憎たらしいほど強い「不沈艦」の異名を取った。北の湖は昭和28年。中学1年の時に上京し、13歳で初土俵を踏んだ。十両昇進は17才11か月、新入幕は18歳7か月と、いずれも当時の最年少記録を塗り替え「北の怪童」と呼ばれた。優勝回数24回は当時大鵬に次ぐ大記録。横綱在位63場所という記録も残した。引退後は一代年寄の名跡を認められ、北の湖部屋を創設。後進の育成に務めながら日本相撲協会の理事長として相撲界を牽引した。横綱として土俵に立ち続けることを信念とし、力士人生を全うした。WIKI詳細

名言屈辱的な負けがあったことで、次は絶対に勝つという気持ちが強くなった


ちなみに、入門時にちゃんこで丼飯8杯・うどん大盛り2杯・お茶漬け2杯を食べて寝た翌朝、「空腹で眠れなかった」と語ったほどの並外れた大食漢だった。また、大の酒好きでもあった。面倒見が良く人望に厚い人物として有名。

ご長男から三回忌のコメント
NHKアーカイブス あの人にあいたい(北の湖関)

このメッセージは、 2024年5月17日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
北の湖関 お誕生日おめでとうございます。不屈の闘志を現役時代見せてくれてありがとうございます。
このメッセージは、 2022年11月20日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
北の湖関の命日ですね。心の中でお参りさせて頂きます。
このメッセージは、 2021年11月22日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
今日は、北の湖関の命日ですね。北の湖関はぼくの憧れなので今日一日力になります。ありがとうございます。
このメッセージは、 2021年9月16日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
大横綱 北の湖関は いつも圧倒的な強さで相手を土俵下へ吹っ飛ばして勝っていた。しかし、土俵下に落ちた力士に手を差し伸べることがなかったことが、人々の誤解を生んでいた。(生意気など)
しかし、北の湖関がそうしていたのは、自分が負けた立場になった時に、勝者に手を差し伸べられた際に、みじめになるから、横綱はそうしなかったと言っていたことが、すごく印象に残っております。
このメッセージは、 2021年6月23日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
ありがとうございます。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2024年5月17日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
北の湖関 お誕生日おめでとうございます。不屈の闘志を現役時代見せてくれてありがとうございます。
このメッセージは、 2022年11月20日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
北の湖関の命日ですね。心の中でお参りさせて頂きます。
このメッセージは、 2021年11月22日に、山崎山崎石材:管理者さんが投稿
今日は、北の湖関の命日ですね。北の湖関はぼくの憧れなので今日一日力になります。ありがとうございます。
軌跡

北海道壮瞥町 ご実家のお墓

北の湖関ご実家のお墓 MAP
ご本人が、ご両親やご先祖様のためにお墓をリフォームしたと墓地に隣接しているお寺のご住職が言っておりました。

親孝行だった大横綱 北の湖の親への優しい心が感じられるお墓でした。
報告

北海道壮瞥町お墓参り

山崎山崎石材:管理者さんが2021年7月14日に投稿
北海道壮瞥町出身の北の湖関 小畑家のお墓参りに。
少年時代からの憧れの北の湖関と会えて念願が叶い嬉しい。

このお墓から親やご先祖様を大切にする北の湖関の優しさがくみ取れる感じ。

川崎大師平間寺の「北の湖」像

㈱スマートシニアさんが2021年6月23日に投稿
素晴らしい銅像にお参りさせていただきました。北の湖は川崎大師平間寺檀家とあり、平成10月1日建立