承継
この追悼サイトは、 江田鎌治郎(速醸酛の発見者、 酒聖と賞される)さまのために作成されました。

享年84歳 、誕生日 1872年6月22日、命日 1957年5月7日
※ 江田鎌治郎(速醸酛の発見者、さんへのメッセージ投稿や、写真アルバムの共有はサインインで可能になります。

江田 鎌治郎(えだ かまじろう、1872年6月22日明治5年5月17日[1] - 1957年昭和32年)5月7日[2])は、日本技術者実業家。速醸酛の発明者として知られ「酒聖」「酒造界の大恩人」と賞される[3]

略歴
1872年(明治5年)、新潟県糸魚川に生まれる[3]。新潟師範学校、東京高等工業学校応用化学科(現・東京工業大学)卒業[3]。東京税務監督局、大蔵省醸造試験所、大阪工業大学講師などを歴任[3]。1909年、速醸酛を開発した[3]。大蔵省を退官後、1933年(昭和8年)に江田醸造研究所(後の江田醸造株式会社)を設立[3][4]1916年に勲六等瑞宝章[3]、1955年に紫綬褒章を受賞[3]

没後、日本生物工学会による生物工学奨励賞(江田賞)が創設された[3][5]

エピソード
  • 速醸酛の特許に関しては、公益性を考慮して取得しなかった[要出典]。現在、日本酒の9割以上が速醸酛を用いて作られている[6]
著書
  • 『杜氏醸造要訣』
  • 『乳酸馴養 最新清酒連醸法』
功績の概要 日本酒の製造工程における酒母の製法の一つ「速醸酛(もと)」を研究、また指導者として全国に技術を普及するなどの業績から「酒聖」「酒造界の大恩人」と称されています。

酒母(酛)…日本酒造りの主役である微生物「酵母」を育てるもとになるもの。水、米麹、蒸米を混ぜたものに酵母を加えて培養します。

功績の背景 速醸酛が広く普及する以前の日本酒は品質が安定していませんでした。
 製造過程で大きな支障となっていたのは雑菌による腐造であり、このため科学的再現性が極めて低く、近代に入っても長らく、その解決策が強く求められていました。
 明治37(1904)年、政府は大蔵省(現在の財務省)に醸造試験所(現在の独立行政法人酒類総合研究所)を設立、日本酒の品質改良と生産性向上を目指しました。
 当時の酒母製法(生酛系)には、雑菌繁殖を防ぐため、蔵内に住み着く乳酸菌による乳酸生成工程があるのが通常でしたが、速醸酛はこの乳酸を人工的に添加することによって確実な雑菌繁殖防止と酒母製造日数短縮をねらいとするものでした

 醸造試験所の鎌治郎がこの方法を研究、体系づけ、普及したことで全国的に醸造技術が向上、酒の品質が良くなり、製造コストも下がり、さらに現場の労力軽減、効率化にも繋がるなどいいことづくめ。鎌治郎は技術指導の先々で感謝されたといいます。
 なお現代では、速醸酛は国内の9割以上がこの製法によっているということです。
 このような功績から、応用微生物学の世界的権威である坂口謹一郎氏は江田鎌治郎を「酒造界の神様」と評しています

豆知識 時代は日清戦争が終わり日露戦争に突入する頃、酒税は当時の国税収入のトップ(全体の35%前後)で国の財政を支える柱でした。日本酒の研究が大蔵省所管、国策であった理由がここにあります。速醸酛の普及は近代日本の税収の安定確保に大きく貢献しました。

注:このサイトは、江田鎌治郎に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

大蔵省醸造試験所(画像出典 : 文化庁 文化遺産オンライン)
                 大蔵省醸造試験所(画像出典 : 文化庁 文化遺産オンライン)
このメッセージは、 2026年4月28日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
「酒造界の大恩人」とも称されました。 現代では速醸酛は国内の9割以上が、この製法によっています。  特にお酒愛好家にとっては忘れることの出来ない恩人と言っても過言ではありません。    合掌

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このメッセージは、 2026年4月28日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
「酒造界の大恩人」とも称されました。 現代では速醸酛は国内の9割以上が、この製法によっています。  特にお酒愛好家にとっては忘れることの出来ない恩人と言っても過言ではありません。    合掌