承継
この追悼サイトは、 ジョン・ ウエイン(俳優・映画監督)さまのために作成されました。

享年72歳 、誕生日 1907年5月26日、命日 1979年6月11日
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ジョン・ウェイン(John Wayne, 1907年5月26日 - 1979年6月11日)は、アメリカ俳優映画プロデューサー映画監督。本名はマリオン・ロバート・モリソン(Marion Robert Morrison)。「デューク」(Duke、公爵)の愛称で呼ばれた。

大学在学中、ウェインは田舎の映画スタジオで働き始めた。西部劇のスター、トム・ミックスフットボールのチケットと交換に夏の間、大道具係の仕事を彼に世話してやった。ウェインは大道具係から1928年には映画の端役に選ばれ、1930年ウェインの最初のクレジット入り映画であるラオール・ウォルシュ監督の超大作『ビッグ・トレイル』に主役として抜擢された。

ウオルシュがアメリカ独立戦争での将軍、"マッド・アンソニー"・ウェインから取った「ジョン・ウェイン」の芸名を彼に与えた。
1939年、端役時代から友情を固めていたジョン・フォード監督の大ヒット作『駅馬車』に主演。やがてウェインはヘンリー・フォンダと並んでフォード作品の看板役者となる。[注釈 1] その後も多くの作品を生み出し、幾つかはウェインの代表作となった。続く35年間で『パッチ砦』、『黄色いリボン』、『リオ・グランデの砦』、『静かなる男』、『捜索者』、『荒鷲の翼』、『リバティ・バランスを射った男と言ったフォードの映画20作以上に出演した。

ウェインは西部劇戦争映画に、俳優としての信念を賭けていたため、強く英雄的な役割を多く演じ、逞しく深みのあるヒーロー像を築いていった。生涯出演した154本もの映画のうち、79本は西部劇であった。その一方でコメディ映画やNBCのコメディ『ラフ・イン』にピンクのウサギの着ぐるみで出演するなどユーモアの感覚も持ち合わせていた。

スター[編集]200px-John_Wayne_%281960%29.jpgスキポール空港に到着したウェイン。1960年11月18日1948年ハワード・ホークス監督『赤い河』の大ヒットにより、翌年初めてボックス・オフィス・スターの4位にランクインし、名実共にスターの座を獲得。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けた。

多くの作品に出演したウェインは『硫黄島の砂』で主演男優賞、監督した『アラモ』で最優秀作品賞と2度のアカデミー賞ノミネートを受けていた。だが、そんな中ウェインは1964年肺癌を宣告され、片肺を失うも闘病を宣言して俳優活動を続けていった。そして1969年の『勇気ある追跡』で粗野で酒飲みな隻眼の保安官を演じ、ようやく最優秀主演男優賞を受賞した。念願のオスカーを手にしたウェインは人気を取り戻し、以後遺作となった『ラスト・シューティスト』まで精力的に活躍した。

また、俳優時代には俳優組合長も務めていた。

死去[編集]胃癌の悪化で、1979年5月1日よりカリフォルニア州ニューポートビーチカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに入院し治療を続けていたが、72歳の誕生日を迎えて17日目の6月11日午後5時35分(日本時間12日午前9時35分)に死去した。ウェインの遺体はカリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マールにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。

受賞歴[編集]アカデミー賞[編集]受賞1969年 アカデミー主演男優賞:『勇気ある追跡』ノミネート1949年 アカデミー主演男優賞:『硫黄島の砂1960年 アカデミー作品賞:『アラモ』ゴールデングローブ賞[編集]受賞1953年 ヘンリエッタ賞(過去に存在した賞)1966年 セシル・B・デミル賞1970年 主演男優賞 (ドラマ部門):『勇気ある追跡

     American actor John Wayne stars in the film 'The Undefeated', 1969.
  Famous grave」のアイデア 200 件 | 墓石, オードリー ...  wayne3.jpg                        ジョン・ウエインのお墓    (ジョン・ウエインの身長:192.4㎝)

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このメッセージは、 2023年11月3日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
西部劇の大スターで、名実共にスターの座を獲得。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けた偉大な俳優でした。           合掌

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このメッセージは、 2023年11月3日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
西部劇の大スターで、名実共にスターの座を獲得。以後20年以上、ベスト10の座を守り続けた偉大な俳優でした。           合掌
軌跡

(生い立ち)

アイオワ州ウィンターセットで生まれ、マリオン・ロバート・モリソンと命名された。実家は薬屋で、薬剤師の息子でもある。しかし、両親が彼の弟をロバートと名付けることを決め、マリオン・マイケル・モリソンと名付けられた。一家は1911年カリフォルニア州グレンデールに転居したが、ウェインはどこへ行くにもエアデール・テリアの愛犬「リトル・デューク」を連れていたため、隣人が「ビッグ・デューク」と呼び始めた[1][2]。以後ずっとウェインは愛称「デューク」を本名の「マリオン」より好んでいたという。

高校卒業後海軍兵学校へ出願するが入校できず、南カリフォルニア大学に入学した。そこで彼は伝説のコーチ、ハワード・ジョーンズの下、フットボールに取り組んだ。しかし水泳中に負った怪我が元で競技生命が絶たれてしまう。彼は怪我の原因が明らかになった時のジョーンズの反応を恐れたと後に記している。