承継
永遠の旅路。散骨で大切な人を自然に還る
故・石原裕次郎 (1934年12月28日 - 1987年7月17日)、日本の俳優、歌手)
  • 海洋散骨場所 (クリックする確認できます):神奈川県葉山町の名島沖で海上散骨式
  • 散骨日時: 1987年9月17日 14時27分
  • 戒名:陽光院天真寛裕大居士
第1回「無料散骨終了」 | 散骨を神奈川・東京の海で【散骨想】
  • 墓処(分骨)總持寺(マップ)〒230-8686 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1−1
  • 石原裕次郎記念碑  〒240-0112 神奈川県三浦郡葉山町堀内
自然散骨(海洋散骨)の法的な解釈を明確にした功績! 
石原裕次郎が亡くなった時、家族は "兄は海が好きだったので、海に還したい "と海洋散骨を計画していたそうです。その後、1991年に法務省が「葬儀の中で節度を持って行う限り違法ではない」と発表し、それ以来、海洋散骨が行われるようになりました。


故・石原慎太郎 (1932年9月30日 - 2022年2月1日、日本の作家・政治家)

  • 海洋散骨場所 :(海洋散骨)神奈川県葉山町の名島沖で海上散骨式 
  • 戒名:海陽院文政慎栄居士
海への散骨方法、法律や注意点、海岸や砂浜での散骨 - 散骨@マガジン
  • 墓処曹洞宗長谷山海宝院(マップ)〒249-0004 神奈川県逗子市沼間2丁目12−15

    ※「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」と遺言状に記したという。

<石原家>(クリックで詳細)について

故・石原慎太郎(日本の日本の作家・政治家)によれば、「うちの本家はそもそも石原ではなく、服部なんです。うちはそんなに大きな家ではないのですが、もともと洛中に落ちた武家の家系なんです。先祖は武田氏の残党で、松山に流れ着き服部姓を名乗りました。弓の名手で、戦では七人を殺したとか、殺さなかったとか(笑)、家紋の七本矢車をつけることが許されたようです。また、「父の父は服部家の本家の子孫で服部勘助と名乗り、すでにあった分家に入り、石原を名乗るようになった。それ以来、その名前を名乗るようになったのです」。また、自分の父の父も、すでにあった石原を名乗る分家に入ったとも言っています」※ 小泉家(小泉純一郎 元首相)とは親戚


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軌跡

石原慎太郎

  • ユニークな発言や提言 石原氏は、政治家としても作家としても、ユニークな発言や提言が多く印象的な政治家です。例えば、温暖化対策として「エアコンを止めろ」という提言や、「(女性の)不倫は悪いが、男がやらないでいるのも情けない」という発言などが有名です。
  • 犬好き 石原氏は、犬好きで知られ、自宅には数匹の犬を飼っていたことが報じられています。また、都知事在任中には、犬を利用した犯罪抑止策として、警察犬の導入を進めたこともあります。

    石原慎太郎氏は、「新銀行東京」の失敗、しかし「残した印象は不思議に鮮烈」と、昭和の世相の波に乗り続けた石原の姿は、戦後日本の姿そのものだったのかもしれないと言われます

石原裕次郎

昭和の映画スターと呼ばれる石原裕次郎の映画界入りのきっかけは、兄・慎太郎の芥川賞受賞作 "太陽の季節 "の映画化であった。時代を先取りした青年のリアルな姿が多くの人の圧倒的な支持を集め、裕次郎ブームを巻き起こした。その後、俳優としてだけでなく、プロデューサーの立場から映画製作に携わり、石原プロダクションとして、既存の映画会社では作れないような名作を数多く世に送り出しました。

生い立ち(裕次郎)

父・石原清(山下汽船社員、愛媛県出身)、母・光子(広島県宮島出身)の間に、兵庫県神戸市須磨区で生まれる。北海道小樽市と神奈川県逗子市で育つ。小樽のマリア幼稚園(現小樽富士幼稚園)を卒業し、小樽の稲穂国民学校時代に競泳とスキー(天狗山)に親しむ。逗子中学から慶應義塾農業高校、慶應義塾高校では趣味のバスケットボールに打ち込んだが、慶應義塾高校2年の時に膝を痛め、その夢を断念せざるを得なくなった。1951年に慶應義塾大学法学部政治学科に入学するが、自ら『太陽の季節』に描かれたような放蕩三昧の日々を送った。
報告

裕次郎さんへ石原まき子夫人の送る言葉

萬好勝成さんが2023年2月23日に投稿
美しきものにはほほえみを 淋しきものに優しさを たくましきものにさらに力を すべての友に思い出を 愛するものに永遠を 心の夢醒めることなく(墓石より)

裕次郎さんスターの性格

萬好勝成さんが2023年2月23日に投稿
  • デビューの頃からオーダーメイドで衣装を仕立てていた、私服が3,000着ほど、トータルで5,000着ほど作ったという。ジャケットの裏地からポケットなどまで、裕次郎がデザインして指定。
  • 『太陽にほえろ!』で共演した渡辺徹は、石原からどんな所に住んでいるかを聞かれ、「アパートの三階」と答えたところ、石原の成城の旧自宅をあげると言われ喜んだが、光熱費などだけでも数百万を要することから、当時新人で給料も安い渡辺は、貰うことを諦めたという。