承継
軌跡

(学生時代)

胸膜炎のために自宅療養中、田河水泡のらくろ』、島田啓三冒険ダン吉』、中村書店の単行本シリーズにおける謝花凡太郎作品などの児童漫画[6]や、横山隆一近藤日出造杉浦幸雄などの大人向けナンセンス漫画[8]に親しむ。

やがて自身でも漫画を描くことを楽しむようになり[7]、漫画家になりたいと大河内に相談したところ、「黙って五年間、石膏デッサンをやりなさい[8][6]」と川端画学校を紹介され、1943年[7]に入学。高等小学校卒での入学で、最年少の生徒だった[8]。同校では加藤芳郎と同級であった[7][8]。同時に、須山計一監修の通信講座「漫画家養成講義録」を受講し、月報の投稿欄の採用常連となって自信をつけた[6

(生い立ち)

東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区根岸[2]で、9人きょうだいの長男として生まれる[8]。生家は軍服や航空機のカバーの下請け生産工場を営んでいた[8]。家業の拡大のため、一家は小島が10歳のときに荒川区尾久へ移り[8]、小島は荒川区立尾久西小学校[2]へ転校した。担任教師が画家の大河内幸俊であった影響で絵に興味を持つ[2]。また、胸膜炎のために自宅療養中、田河水泡のらくろ』、島田啓三冒険ダン吉』、中村書店の単行本シリーズにおける謝花凡太郎作品などの児童漫画[6]や、横山隆一近藤日出造杉浦幸雄などの大人向けナンセンス漫画[8]に親しむ。