承継
この追悼サイトは、 イングマール・ ベルイマン(スエーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家)さまのために作成されました。

享年89歳 、誕生日 1918年7月14日、命日 2007年7月30日
※ イングマール・さんへのメッセージ投稿や、思いでの共有はサインインで可能になります。
エルンスト・イングマール・ベルイマン(Ernst Ingmar Bergman〈Sv-Ingmar Bergman.ogg 発音〉、1918年7月14日 - 2007年7月30日)は、スウェーデン映画監督脚本家舞台演出家。「神の沈黙」「愛と憎悪」「生と死」などを主要なモチーフに、映画史に残る数多くの名作を発表した[3]

生涯[編集]
イングマール・ベルイマンは1918年7月14日、スウェーデンのウプサラで生まれた。父は牧師であり、兄のダーグは外交官、妹のマルガレータはのちに小説家となった[4]。ベルイマン家は首都ストックホルムで生活しており、ベルイマンもそこで育ち、1937年にはストックホルム高等学校(現ストックホルム大学)の文学・美術史学科に入学して、舞台演出の道へと進んだ[5]

1942年には映画会社のスヴェンスク・フィルム社に入社し、1943年にはエルセ・フィシェルと結婚[6]。なお、1945年にエルセとは離婚し、その後も多くの女性と結婚と離婚を繰り返して、ベルイマンは通算で5度の結婚を行った1944年アルフ・シェーベルイ監督の『もだえ』の脚本を手がけた。また同年、ヘルシンボリ市立劇場の主任演出家となり[7]、その後もヨーテボリ[8]ノーショーピングマルメ、ストックホルムなどの都市で舞台演出を行った[9]

1945年、『危機』で映画監督としてデビューし[10]、その後、数本の低予算映画の中で自らのスタイルを模索する。

1950年、『夏の遊び』の頃から映画監督ベルイマンとしてのスタイルを確立した

1952年、『不良少女モニカ』でフランスヌーヴェル・ヴァーグの作家たちに賞賛される[11]

しかし、批評家から激賞されても興行的な成功を中々出せず、プロデューサーからも「次回作で興行的な成功がなければ二度と映画は撮らせない」と圧力を掛けられる。そんな中で制作した1955年公開の『夏の夜は三たび微笑む』が翌年のカンヌ国際映画祭にて特設賞である「詩的ユーモア賞」(仏語:Prix de l'humour poétique)を受賞し、国際的な評価を得る[10]と同時にスウェーデン国内でも大成功を収めた

1950年代後半からは『夏の夜は三たび微笑む』での成功により得た映画制作の自由のもと、立て続けに良作を発表。神の存在をテーマとした『第七の封印1957年)では、再びカンヌ国際映画祭に出品され、審査員特別賞を受賞し、2年連続受賞を果たす。人生の老いについて普遍的に描いた『野いちご』(1958年)では、ベルリン国際映画祭でグランプリにあたる金熊賞を受賞。権力と迷信の対立をコメディタッチに描いた『魔術師1958年)では、ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞を受賞し、数年のうちに世界三大映画祭の主要部門を制覇する

1960年代に入っても精力的に活動を続け、復讐と神の存在を描いた『処女の泉』(1960年)が米国アカデミー賞にて外国語映画賞を受賞し、世界的な映画監督としての名声を不動のものにする。また、『鏡の中にある如く』(1961年)、『冬の光』(1962年)、『沈黙』(1963年)の3作品、いわゆる「神の沈黙」三部作と呼ばれる[12]作品群を発表し、こちらも高い評価を獲得。特に『鏡の中にある如く』はベルイマン作品として2年連続で米国アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した

1963年にはストックホルム王立劇場の総監督となる[13]。1965年、チャールズ・チャップリンと共にエラスムス賞を受賞。1966年にはゴトランド島の北にあるフォーレ島での生活を始めた[14]

その後、「神の沈黙」三部作以降は主に愛人であった女優リヴ・ウルマンを主役に据えて、『仮面/ペルソナ』(1967年)といった、人間の本質に迫る数多くの良質の作品を発表し続けた

1970年代頃には黒澤明フェデリコ・フェリーニらと共に世界的な巨匠としての地位を確立していたが、1976年にスウェーデン警察に脱税容疑で逮捕される。これは無実であり2ヶ月後には釈放されたものの、突然の出来事でショックを受けたベルイマンは入院し、回復するとスウェーデンを去ることを表明して、ヨーロッパ諸国を回る。その放浪の途中に滞在したノルウェーでは、イングリッド・バーグマンにとって最後の出演映画となった『秋のソナタ』を撮影する。その後、西ドイツミュンヘンに落ち着いた[15]。1978年にはスウェーデンで名誉回復がなされたため[16]、のちに帰国した。

1982年に公開された5時間超の大作『ファニーとアレクサンデル』を最後に映画監督業から引退[17]。その後は以前から映画製作と並行して手がけていたスウェーデン王立劇場での舞台演劇に専念、舞台演出家兼脚本家としての活動を続けた。ただし、『愛の風景』(1992年)、『曜日のピュ』(1994年)、『不実の愛、かくも燃え』(2000年)など、自伝的作品を中心に脚本家として映画製作にも携わった。

1991年高松宮殿下記念世界文化賞を受賞[18]。1995年には最後の妻であるイングリッドを亡くした[10]

2003年、突如として、20年ぶりの監督作品『サラバンド』を発表[19]。この映画はベルイマンにとって最初で最後となるデジタルHD撮影による作品であり、監督としての健在ぶりをアピールした。

2007年7月30日、スウェーデンのフォーレ島にて死去。89歳だった[20]。8月19日には同島で葬儀と埋葬が行われた[10]

f12643216867daaa46b62e685a6e8cba621581e5_kagaminonaka.jpg?auto=compress,format
鏡の中にある如く(1961)

神の存在を観る者に問う「神の沈黙」3部作の1作目。精神病を患う娘を取り巻く3人の男たちは、娘を愛するも、不器用ゆえに彼女を追いこんでしまう。その姿は私生活で数々の女優を愛しては傷つけてきたベルイマン自身の投影かのよう?

※注:このサイトは、イングマール・ベルイマンに関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

メッセージはベルイマン(スエーデンの映画監督・脚本家・舞台演出...さんへの想いを表すものです。 こちらに最初のメッセージを投稿してください。

メッセージの投稿