承継
報告

病状の流れ

若林潤 (長男)さんが2026年3月1日に投稿
2025年11月
母の子供3人ともアメリカ・シアトルに在住しています。
長男である私が2025年11月中旬に一時帰国した際に、「実家に来てもらってもつまらないからどっか連れて行って」と頼まれて、温泉マークの発祥地でもある磯部温泉へ連れて行きました。その際は普通に元気でした。
その1週間後、本来は一緒にシアトルへ行きアメリカの感謝祭(Thanksgiving)で家族と過ごすはずでしたが、「ちょっと体調不良になったから今回はキャンセルする」となりました。

2025年12月
足がむくれたり、疲れがとれなかったり、食欲もあまりない日があったようですが、まだ自分で料理したり、年末の大掃除も頑張っていました。月末からちょこちょこと病院へ通うようになりました。

2026年1月
年明け直後に先生にいくつかの数値が低迷しているということで1月5日から藤代総合病院で入院することになりました。私もその数日後様子を見にまた帰国しました。入院中はいくつもの検査を受けましたが、これという明確な病名も出ませんでしたが、栄養がまわってないことで栄養失調として取り合えず1月24日には退院できました。まだ不安定でしたので一人暮らしは難しいと思い、母の妹さんとも相談し、近くの施設に入れるように手配しました。

2026年2月
退院してからも熱が引き続いていて、施設の方々も、心配し、何度か病院へ行っていたらまた入院することになりました。その数日後悪性リンパ腫と分かりましたが、もうすでに体が弱っていて化学療法ができる状態ではありませんでした。「あと残り数日か1週間」と先生に言われて弟と私ですぐにかけつけました。その直後母は亡くなりました。

献体希望

若林潤 (長男)さんが2026年3月1日に投稿
2022年に母の強い希望で今後何かあった場合、遺体は群馬大学へ寄付するという遺言を作りました。この契約書は家族の承認も必要で長男の私も合意してサインしました。

母は亡くなった後も何かしらで役に立てることに誇りをもっていました。
まだ日本では献体は数少ないことで、珍しく思われるかもしれませんが、母はとても前向きで、「科学のためになるんだよ~」とウキウキしながら家族に説得していました。

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