承継
今年1月から入退院を繰り返しながら闘病を続けましたが2月18日に悪性リンパ腫という血液系の癌で享年77歳でこの世を去りました。

本人の希望から群馬大学への献体にて研究後の来年、2027年5月に大学でのセレモニーにて火葬され、群大近くの前橋にある嶺公園にて安らぐことになっています。今年4月に家族だけでのお葬儀は行いますが、それ以外でのお葬式などの予定はありませんので、母へのメッセージなどはこちらのページの下にある<メッセージを投稿>のリンクにてお願いいたします。

母は1988年から2001年まではアメリカ・シアトルで過ごしてました。この15年ほどで孫たちができてからは年に1、2回はシアトルやハワイで家族と過ごして楽しんでいました。去年の11月には私とも温泉旅行して元気だったのですが、その直後から急に体調を崩していました。病状の詳しい情報は<報告>のページにてご説明させていただいてます。

長年お付き合い頂いたご友人の皆様に心より感謝申し上げます。

長男: 潤

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※ 渡辺秀子さんへのメッセージ投稿や、写真アルバムの共有はサインインで可能になります。
このメッセージは、 2026年3月9日に、YAMADAAKIKOさんが投稿
2021年4月から、渡邉書道会に通っており、先生にお世話になっておりました。

先生の字は本当に綺麗で、お手本を書いていただく際は、毎回見惚れておりました。
私からしたら十分綺麗な文字なのに、何度もお手本を書き直してくれることもありました。

先生の教え方はとても丁寧で「1つの文字でも何通りも書き方があるのよ」と様々な教材で説明してくれました。

また、先生の表現力は本当に豊かで、私が今まで使ったことのない言葉で表現されたり、様々な気づきを与えてくれました。

2025年12月29日が最後のお稽古でした。
この日は晴天で、先生の寝具をベランダに干すお手伝いをさせていただきました。

年明け後、何度かLINEでやりとりをしていただき、お稽古の再開を願っておりました。

先生からまだまだたくさんいろんな事を教えていただきたかった。

先生に出会えて、本当に良かった。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
このメッセージは、 2026年3月2日に、 Kazukoさんが投稿
本当に残念です。
私はシアトル時代からコーラスでご一緒し、日本に帰国されてからもこちらにいらっしゃった時はほぼ毎回お会いしてお話ししていました。 アメリカの空気が合っているのか?こちらにいらっしゃると元気になってポジティブ思考になって帰国されていました。  彼女との思い出の品は沢山あります。 去年の7月にもお会いし、今年はいつ頃いらっしゃるかな?と思っておりました。  ただただ急な事で驚きと悲しみでいっぱいです。  ご冥福をお祈りいたしております。
お子様達のいらっしゃるシアトルの空で私達を見守って下さっていると思って。。。
宮本和子
このメッセージは、 2026年2月28日に、BuckmasterEmiさんが投稿
潤さんからの紹介で初めて秀子さんにお会いした時、初対面でないような、あたたかく不思議な感覚になったことを思い出します。

親子ほど歳が離れているにもかかわらず、秀子さんとおしゃべりしていると時を忘れるくらい楽しくて、共通の趣味である俳句の話で盛り上がったり、肩をマッサージして下さったり(華奢なお姿からは想像できないくらい力強くてびっくりしました)、昨夏ご一緒したシアトル盆踊りでは臆することなく輪にスッと溶け込んで楽しそうに踊っておられた姿が心に残っています。

秀子さんからはたくさんのことを学ばせていただき、お別れする悲しみと同じくらい感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2026年3月9日に、YAMADAAKIKOさんが投稿
2021年4月から、渡邉書道会に通っており、先生にお世話になっておりました。

先生の字は本当に綺麗で、お手本を書いていただく際は、毎回見惚れておりました。
私からしたら十分綺麗な文字なのに、何度もお手本を書き直してくれることもありました。

先生の教え方はとても丁寧で「1つの文字でも何通りも書き方があるのよ」と様々な教材で説明してくれました。

また、先生の表現力は本当に豊かで、私が今まで使ったことのない言葉で表現されたり、様々な気づきを与えてくれました。

2025年12月29日が最後のお稽古でした。
この日は晴天で、先生の寝具をベランダに干すお手伝いをさせていただきました。

年明け後、何度かLINEでやりとりをしていただき、お稽古の再開を願っておりました。

先生からまだまだたくさんいろんな事を教えていただきたかった。

先生に出会えて、本当に良かった。
感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。
このメッセージは、 2026年3月2日に、 Kazukoさんが投稿
本当に残念です。
私はシアトル時代からコーラスでご一緒し、日本に帰国されてからもこちらにいらっしゃった時はほぼ毎回お会いしてお話ししていました。 アメリカの空気が合っているのか?こちらにいらっしゃると元気になってポジティブ思考になって帰国されていました。  彼女との思い出の品は沢山あります。 去年の7月にもお会いし、今年はいつ頃いらっしゃるかな?と思っておりました。  ただただ急な事で驚きと悲しみでいっぱいです。  ご冥福をお祈りいたしております。
お子様達のいらっしゃるシアトルの空で私達を見守って下さっていると思って。。。
宮本和子
このメッセージは、 2026年2月28日に、BuckmasterEmiさんが投稿
潤さんからの紹介で初めて秀子さんにお会いした時、初対面でないような、あたたかく不思議な感覚になったことを思い出します。

親子ほど歳が離れているにもかかわらず、秀子さんとおしゃべりしていると時を忘れるくらい楽しくて、共通の趣味である俳句の話で盛り上がったり、肩をマッサージして下さったり(華奢なお姿からは想像できないくらい力強くてびっくりしました)、昨夏ご一緒したシアトル盆踊りでは臆することなく輪にスッと溶け込んで楽しそうに踊っておられた姿が心に残っています。

秀子さんからはたくさんのことを学ばせていただき、お別れする悲しみと同じくらい感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。
軌跡

幼少期

5人兄弟の4番目でした

バレー

踊るのが好きで特にバレーに夢中でした
報告

病状の流れ

若林潤 (長男)さんが2026年3月1日に投稿
2025年11月
母の子供3人ともアメリカ・シアトルに在住しています。
長男である私が2025年11月中旬に一時帰国した際に、「実家に来てもらってもつまらないからどっか連れて行って」と頼まれて、温泉マークの発祥地でもある磯部温泉へ連れて行きました。その際は普通に元気でした。
その1週間後、本来は一緒にシアトルへ行きアメリカの感謝祭(Thanksgiving)で家族と過ごすはずでしたが、「ちょっと体調不良になったから今回はキャンセルする」となりました。

2025年12月
足がむくれたり、疲れがとれなかったり、食欲もあまりない日があったようですが、まだ自分で料理したり、年末の大掃除も頑張っていました。月末からちょこちょこと病院へ通うようになりました。

2026年1月
年明け直後に先生にいくつかの数値が低迷しているということで1月5日から藤代総合病院で入院することになりました。私もその数日後様子を見にまた帰国しました。入院中はいくつもの検査を受けましたが、これという明確な病名も出ませんでしたが、栄養がまわってないことで栄養失調として取り合えず1月24日には退院できました。まだ不安定でしたので一人暮らしは難しいと思い、母の妹さんとも相談し、近くの施設に入れるように手配しました。

2026年2月
退院してからも熱が引き続いていて、施設の方々も、心配し、何度か病院へ行っていたらまた入院することになりました。その数日後悪性リンパ腫と分かりましたが、もうすでに体が弱っていて化学療法ができる状態ではありませんでした。「あと残り数日か1週間」と先生に言われて弟と私ですぐにかけつけました。その直後母は亡くなりました。

献体希望

若林潤 (長男)さんが2026年3月1日に投稿
2022年に母の強い希望で今後何かあった場合、遺体は群馬大学へ寄付するという遺言を作りました。この契約書は家族の承認も必要で長男の私も合意してサインしました。

母は亡くなった後も何かしらで役に立てることに誇りをもっていました。
まだ日本では献体は数少ないことで、珍しく思われるかもしれませんが、母はとても前向きで、「科学のためになるんだよ~」とウキウキしながら家族に説得していました。