承継
この追悼サイトは、 巽 悟朗 (元大阪証券取引所社長、光世証券創業者)さまのために作成されました

享年68歳 、誕生日 1935年7月18日、命日 2003年12月23日
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略歴
1935年(昭和10年) 大阪生まれ

1958年(昭和33年) 同志社大学経済学部卒業

1961年(昭和36年) 光世証券株式会社設立 代表取締役社長

1977年(昭和52年) 大阪証券取引所 理事

1981年(昭和56年) 日本証券業協会 理事

1983年(昭和58年) 日本証券業協会 大阪地区協会副会長

1985年(昭和60年) 大阪証券取引所 理事会議長

1987年(昭和62年) 日本証券業協会 副会長、日本証券業協会 大阪地区協会会長

1996年(平成 8年) 永年の証券市場発展に寄与した功績が認められ藍綬褒章 受章

2000年(平成12年) 大阪証券取引所 理事長

2001年(平成13年) 株式会社に改組後の大阪証券取引所 初代社長

2003年(平成15年) 永眠(享年68歳)

2004年(平成16年) 生前の功績により正五位旭日中綬章 受賞

創業者の軌跡
創業者 巽悟朗は、昭和10年7月、大阪の商売の中心地である船場で生まれた。

小学校から大学までの京都で過ごした時期は、体が大きく、力もあり、腕白ぶりを存分に発揮。同志社大学時代は、アメリカンフットボールの選手や応援団長として活躍するなど文武両道に打ち込んだ。

昭和33年、地場の証券会社に入社。松下幸之助邸に通い眷顧を受けるなど、新人ばなれした営業力で大口顧客を次々に獲得するも3年で独立

昭和36年4月、弱冠25歳で光世証券を設立。資本金1600万円、社員18名からの出発であった。順調に業績を延ばし続け、大証・東証の会員権取得、総合証券へ昇格、東証・大証一部上場のすべてを一代で成し遂げた

公職では、大阪証券取引所 理事会議長、日本証券業協会 副会長、日本証券業協会 大阪地区協会会長などを歴任。大証の先物市場創設に尽力するなど、大阪証券業界の発展に全力で取り組んだ

さらに平成12年には、民間から23年ぶりの大阪証券取引所 理事長に就任。翌年、株式会社に改組後の大阪証券取引所 初代社長となり、ナスダック・ジャパン市場(現・新ジャスダック市場)創設などを実現。大証の再生に東奔西走していた最中、平成15年、享年68歳で永眠。

巽悟朗の創業当時の事務所には二畳大の紙が貼ってあった。東証上場までの巨大なフローチャート図である。「これが終わったら、次はこれをやろう、、とライフワークで取り組み、一つまた一つと消していっただけですわ」と後に語っているように図解仕事人だった。この人の図解はだんだん大きくなって、最終目標が、自社の発展だけでなく「商都大阪の復権」という志に大きく育っていった。その志を遂げようとする執念が北浜の風雲児・巽悟朗の生涯を支えたのであろう。
          history_honten.jpg  (H13.5)  本店新社屋 大阪市中央区北浜

注:このサイトは、巽悟朗に関連した書きかけのものです。 内容について加筆・訂正などをしてくださる協力者を求めています  作成者拝

このメッセージは、 2025年12月23日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
25歳にして光世証券を創業し、一代で東証一部上場企業に育て上げた。  北浜の風雲児の異名を取った。  経済界に大きな功績を遺しました。  合掌

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このメッセージは、 2025年12月23日に、イーライフ宇崎勝さんが投稿
25歳にして光世証券を創業し、一代で東証一部上場企業に育て上げた。  北浜の風雲児の異名を取った。  経済界に大きな功績を遺しました。  合掌