承継
夫ピーターワーナーが突然この世を去ってから2回目の夏を迎えました。
去年は何もできる状態ではなかったため、今年は何らかの形で追悼を行い皆様にもお会いしたいと思っていましたが、昨今の状況から集まる事が難しくなって思案していた所このサイトを知りました。まだ手探りで始めたばかりですが、今後少しずつ色々な思い出や写真等をアップしていきたいと思います。
皆様の中にあるピーターとの思い出やピーターへのメッセージをシェアしていただけたらとても嬉しく思います。         2020.08.08  中森 浩子
Please feel free to write your message to Peter or a memory of Peter.
We'd be very happy to share with you.
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このメッセージは、 2020年8月18日に、 Keikoさんが投稿
私が初めてピーターさんにお会いしたのは、親しい友人である浩子さんが彼を婚約者として紹介してくださった時です。そのすらっとした長身と人懐っこいキラキラした瞳に魅せられたのを覚えています。その後私は海外に住むようになり、ご結婚なさったピーターさんと浩子さんにお会いする機会はそんなにありませんでしたが、それでも胸に焼き付いた忘れがたい思い出があります。
私の二人の娘がまだ小さかったある夏、私が久しぶりに帰国して茨城の実家に帰省していた時のことです。名古屋にお住いの浩子さんが会いに来ないかと誘ってくださったのです。その当時経済的にあまり余裕がなかった私は、とても茨城から名古屋までの交通費が出せなかったので、この次にしましょうと返答したところ、折り返し浩子さんからご連絡があり、ピーターさんが交通費を出してくださるとのこと、私は耳を疑いました。「めったに会えないあなたの親友なんだから」とご自分から申し出てくださったと聞かされ、思わず目頭が熱くなるのを覚えました。感謝の思いを胸に私が娘たちを連れて名古屋に飛んで行ったのは言うまでもありません。
私の名古屋滞在中も彼はずっとなごやかな笑顔でした。最後の夜、浩子さんは久しぶりに会った私と二人きりでの外食を計画してくれましたが、その当時まだ小さかったジョン君とうちの二人の娘のベビーシッターを買って出てくれたのはやはりピーターさんでした。私は出かける前、申し訳なくてどんなふうにお礼を言ったかすら覚えていません。私が覚えているのはただ「いってらっしゃい」という彼のまぶしい笑顔でした。その夜私たち二人が外食を終えて帰ってくると、玄関先でいちばん初めに耳にしたのはピーターさんと3人の子供たちの屈託のない笑い声です。4人はゲームをしながら私たちの帰りを待っていてくれたのです。
私のピーターさんとの最高の思い出はこの名古屋訪問でした。今でもまるで昨日のことのように思い出します。今ではもう成人した娘たちも、ピーターさんと過ごしたこのひと時をいまだに覚えていて、ことあるたびになつかしがります。
わずかな出会いの中に、何とたくさんの胸高鳴る思い出を残してくれたことでしょう。私はこのピーターさんの思い出を一生大切に心に閉まっておきます。そして、いつかどこかで彼に再会できたら、もう一度心からの「ありがとう」が言いたいです。 
地上での人生は短かったけれど、彼はダイアモンドのように輝く思い出を多くの人の胸に残してくれました。
ピーターさん、本当にありがとう!
このメッセージは、 2020年8月13日に、MyersonJoshuaさんが投稿
Peter,

I quite enjoyed getting to know you over the years here in Japan - hard working, professional, friendly, generous, and at times a little shy - at teaching workshops and over billiards. It was good spending time with you. Thank you.

You had great character and strong views. With them, you helped lead your communities.

It was a shock to hear that you had passed, but not surprising to hear that it was while helping your church. It would have been nice if you could have stayed with us a little longer, but things did not turn out that way and you have moved on. I am sure you are close to God.

                                      Be well my friend,

                                              Josh
このメッセージは、 2020年8月13日に、中森信福さんが投稿
皆さまへ

父ピーターへの追悼メッセージ、誠にありがとうございます。
もしよろしければ、このサイトの「思い出」というページもご覧ください。
ピーターとの思い出を共有する場所ですので、写真や動画・思い出コメントなどをシェアして頂けますと彼もきっと喜ぶと思います。よろしくお願い申し上げます。
このメッセージは、 2020年8月13日に、RomaniMichaelさんが投稿
I first met Peter in the summer of 1977. He and his family moved to Nagoya in 1991. My family and I moved nearby to my wife’s hometown about six months later. Our families got together two or three times a year. Unfortunately because of schedules etc. we met less often in recent years.

Peter was my friend and I miss him very much. He always had a huge, welcoming smile on his face, a grin and a laugh that were impossible to forget. He was passionate about his work, especially phonics. I wish we had another chance to shoot some eight-ball.
このメッセージは、 2020年8月12日に、KakoMayumiさんが投稿
Peter, how have you been doing up there? Are you finally in peace or still busy working hard on something?

I still give your phonics-based approach in my classroom and sometimes wonder where I’m going with it. We have a lot to catch up on. I miss you.
このメッセージは、 2020年8月12日に、ひきだ愛音さんが投稿
Hi, ピーターおじさん。元気?…って訊くのはおかしいですよね。でも、そう訊きたくなってしまうんです。だって私が挨拶するとき、ピーターおじさんはいつも笑っていたから。私が今時の小学生よりも拙い英語でなんとか話をしようとすると、おじさんは「Hee!hee!hee!」と甲高く笑って、でもそれはとても朗らかで暖かい笑いなんです。まるで部屋の電球が増えたかのように明るくしてくれました。私のなかのピーターさんは、いまでも明るいです。8月の太陽のように…。これからもその笑顔で照らし続けてください。忘れないよ。
このメッセージは、 2020年8月12日に、RocheBillさんが投稿
I worked with Peter in Los Angeles for several years. He was a person of intense honesty and integrity. After Peter and Hiroko moved to Nagoya, and since my wife is from Nagoya, we visited them every time we visited her family. This gave us a wonderful friendship with Peter and Hiroko and John as we visited them several times over 20 some years. It was a pleasure to see Peter start his school and watch it grow. His dedication to his students and teaching program was nothing but exceptional, professional, and a labor of love. He believed strongly in his approach to Japanese children learning English that he pursued informing the Japanese department of education of his system, believing it of value to the nation of Japan. He wanted so much for the people of Japan to benefit from a better system of teaching. The success of his teaching English to the youth of Japan was unequaled.
Peter loved his wife and son. He loved billiards and approached it with a deeply analytical and expert viewpoint. It was another example of how meticulous he was in everything he did. He was an avid reader, and loved history. He had a big heart, and lived his life in service of others. He is remembered as a very loving, caring, and serving person. A great man, motivated by truth and love. From my wife, Yumiko, and I, Bill Roche, we offer our sincerest warmest and affectionate loving memories of Peter.
このメッセージは、 2020年8月12日に、曵田宏さんが投稿
期せずして同い年の君だから親近感を感じていましたよ。
君の分まで精一杯に生き抜きます。何よりの供養だと信じているからです。
このメッセージは、 2020年8月11日に、中森信福さんが投稿
Peterのお墓について
去年ある方から「ピーター先生のお墓参りに行きたいので場所を教えてください」という連絡をいただきました。
ピーターの遺骨は2つの骨壺に入れて持ち帰りました。一つはビーターの姪のナターシャがこちらに取りに来てくれ、アメリカに渡り故郷マサチューセッツ州のノースフィールドにある墓地に埋葬されました。広々とした芝生が広がる大地と明るくどこまでも広がる空の下で父Rechardのお墓の隣にピーターの墓石があります。(冬は雪に埋もれてしまうそうですが)写真がアップできるようになったらご覧いただきたいのでもう少しお待ちくださいね。

もう一つの遺骨はまだ自宅にあり、ピーターの遺影を飾った棚の中に安置されています。
色々な経緯があり、まだどのようなかたちにするのか決めかねているのでしばらくはこのままにしておくつもりです。  8/11/2020 中森浩子

メッセージの投稿

 
メッセージ
このメッセージは、 2020年8月18日に、 Keikoさんが投稿
私が初めてピーターさんにお会いしたのは、親しい友人である浩子さんが彼を婚約者として紹介してくださった時です。そのすらっとした長身と人懐っこいキラキラした瞳に魅せられたのを覚えています。その後私は海外に住むようになり、ご結婚なさったピーターさんと浩子さんにお会いする機会はそんなにありませんでしたが、それでも胸に焼き付いた忘れがたい思い出があります。
私の二人の娘がまだ小さかったある夏、私が久しぶりに帰国して茨城の実家に帰省していた時のことです。名古屋にお住いの浩子さんが会いに来ないかと誘ってくださったのです。その当時経済的にあまり余裕がなかった私は、とても茨城から名古屋までの交通費が出せなかったので、この次にしましょうと返答したところ、折り返し浩子さんからご連絡があり、ピーターさんが交通費を出してくださるとのこと、私は耳を疑いました。「めったに会えないあなたの親友なんだから」とご自分から申し出てくださったと聞かされ、思わず目頭が熱くなるのを覚えました。感謝の思いを胸に私が娘たちを連れて名古屋に飛んで行ったのは言うまでもありません。
私の名古屋滞在中も彼はずっとなごやかな笑顔でした。最後の夜、浩子さんは久しぶりに会った私と二人きりでの外食を計画してくれましたが、その当時まだ小さかったジョン君とうちの二人の娘のベビーシッターを買って出てくれたのはやはりピーターさんでした。私は出かける前、申し訳なくてどんなふうにお礼を言ったかすら覚えていません。私が覚えているのはただ「いってらっしゃい」という彼のまぶしい笑顔でした。その夜私たち二人が外食を終えて帰ってくると、玄関先でいちばん初めに耳にしたのはピーターさんと3人の子供たちの屈託のない笑い声です。4人はゲームをしながら私たちの帰りを待っていてくれたのです。
私のピーターさんとの最高の思い出はこの名古屋訪問でした。今でもまるで昨日のことのように思い出します。今ではもう成人した娘たちも、ピーターさんと過ごしたこのひと時をいまだに覚えていて、ことあるたびになつかしがります。
わずかな出会いの中に、何とたくさんの胸高鳴る思い出を残してくれたことでしょう。私はこのピーターさんの思い出を一生大切に心に閉まっておきます。そして、いつかどこかで彼に再会できたら、もう一度心からの「ありがとう」が言いたいです。 
地上での人生は短かったけれど、彼はダイアモンドのように輝く思い出を多くの人の胸に残してくれました。
ピーターさん、本当にありがとう!
このメッセージは、 2020年8月13日に、MyersonJoshuaさんが投稿
Peter,

I quite enjoyed getting to know you over the years here in Japan - hard working, professional, friendly, generous, and at times a little shy - at teaching workshops and over billiards. It was good spending time with you. Thank you.

You had great character and strong views. With them, you helped lead your communities.

It was a shock to hear that you had passed, but not surprising to hear that it was while helping your church. It would have been nice if you could have stayed with us a little longer, but things did not turn out that way and you have moved on. I am sure you are close to God.

                                      Be well my friend,

                                              Josh
このメッセージは、 2020年8月13日に、中森信福さんが投稿
皆さまへ

父ピーターへの追悼メッセージ、誠にありがとうございます。
もしよろしければ、このサイトの「思い出」というページもご覧ください。
ピーターとの思い出を共有する場所ですので、写真や動画・思い出コメントなどをシェアして頂けますと彼もきっと喜ぶと思います。よろしくお願い申し上げます。
大切な方の思いで

経歴

Peter Fred Warner
 1953年11月15日 米国マサチューセッツ州アムハーストに父Richard Warner母Priscilla Warnerの第4子として生まれる。
1987年に日本人と結婚、1989年に一児をもうける。1991年に英会話教師としてカリフォルニアから名古屋に移住。以来最後まで英語教育に熱心に取り組んでいた。特に日本人の苦手な発音を身につける為のフォニックスのシステムを導入し、常に色々な教材を手作りしていた。フォニックスの教授法についても熱心に研究し日本各地でセミナーも開催していた。
明るい性格で子供からシニアの方まで一時多い時で月100人以上の生徒を指導していた。
晩年の7年ほどは敬虔なクリスチャンになり、教会活動にも熱心に参加するようになった。
岐阜県関市にて教会の青少年キャンプに参加していた8/12早朝に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
想いで

今日のお供え

中森浩子さんが2023年8月12日に投稿
ピーターが亡くなってから私の食生活は変わった。朝は決まってパンだったがもう大概ご飯だ。でも今日は命日なのでパンケーキを焼いた。
家族3人揃っていたとき日曜日の朝はパンケーキという習慣だった。メープルシロップは必ずアメリカの本物のシロップを買っていた。時にバナナやカボチャやブルーベリー等を入れて楽しんだ。一度「パンプキンパンケーキとブルーベリーパンケーキのどっちがいい?」と聞いた時「うーん、、、」と身悶えして悩んだ姿を思い出しておかしい。
今日のはヨーグルト米粉パンケーキに友人が庭のブルーベリーで作ったジャムをくれたのでそれをのせた。コーヒーは前夜仕込んだ水出しコーヒーだ。少ししてからそれを下げて食べた所自分でもびっくりするほど美味しい。私まだ少し進化してる?
あなたの遺影に向かって「美味しいね」と言って食べた。魂になったら食べる必要はないからお供えって本当に喜ぶのかしら?と時々思う。こちらの気持ちやエッセンスのようなものを受け取ると言う人もいる。でもこんなに美味しくできたらやっぱり生きてる時に食べて欲しかった。「ヒャッホウ!」とか言いながら喜んで食べてくれただろうに。あなたの声が聞こえないのは寂しいね。

いつも朗らかな人だった。ジョークを言うのが好きだった。でも大抵面白くなかった。いつも言って自分だけ笑っていた。働き者でいつも一生懸命だった。でもちょっとドジだった。自信に満ちているようで本当は怖がりだった。
頑丈な体で家族で一番元気だったのに。
どうしてあんなに原罪を恐れるようになったの。何故あそこまで自分を追い詰め自分の体にムチ打つような生活をしたの。
普通に家に帰って来てくれれば良かったのに。普通の人で良かったのに。特別に誰かに認められなくても家族が元気で楽しく過ごせたらそれで良かったじゃない。

思い出すと感謝の気持ちだったり可哀想に思ったり愚痴を言いたくなったり色々でごめんなさい。


5年目の命日

中森浩子さんが2023年8月12日に投稿
今年の夏は暑い。命日の今日は最高気温40度近くの予報の殺人的暑さだ。
あなたが逝った5年前も酷暑の夏だった。暑い日はそれを思い出してつらい。

ピーターが亡くなって教室を閉鎖する事になり生徒さん達とお別れ会をしていた時衝撃的な話を聞いた。あの酷暑の中、帰国する牧師の引っ越しの作業を引き受け、さらに大量に出た家具等の大きな不要品をゴミに出す為教室に持ってきて仕事の合間にベランダでノコギリで細かくする作業におわれ疲労困憊だったというのだ。先生は本当に大変でした、と言われたが普段人一倍元気な人が疲労して見えたのはよほどの状態だったと思う。あの時期のコンクリートのベランダは何十度だったろう。それにピーターは金曜日と日曜日は断食をしていた。仕事のスケジュールを考えると引っ越しを手伝えるような日はその両日以外にない。そんな無理をさせて、、それを終わらせ直後に青少年のキャンプに講師として出かけたのだが準備の為に睡眠も削っていた。酷暑の金曜日に出発、その日も断食。日曜日の早朝に倒れた時既に心臓も呼吸も止まっていた。病院に運ばれ検査をしても何も病気が見つからず「原因不詳」とされた。医者にそう説明された時「じゃ何で死んだんですか」という言葉が喉元まで出かかったが声を発することも出来なかった。あまりに突然で何を言われても飲み込めなかった。
しかし生徒さん達の証言を繋ぎ合わせるとこれは明らかに過労死だ。心臓が止まってしまうほど無理をしたのだ。牧師はピーターより年配だがいくらピーターが自分より若いと言っても断食をしている64歳のピーターに何故そこまでの重労働をさせたのだろう。何故自分の責任でゴミの処理くらいしなかったのだろう。ピーターの命はそんな事の為に削られるほど安いものだったのだろうか。
そうした事の直後に亡くなったというのに当の牧師から遺族の私達にはひとことの言葉もなかった。ありがとうもすみませんでしたもなかった。教会の人は死んで天国に行ったのだから何も心配ないと私に言った。
信仰って時には残酷だ。あなたはあの教会に行かなかったらこんなに早く死ぬことはなかった。そう言ったらあなたは怒るだろうか。信じていたものね。それともあの世に行ったらもっと色々な事が見えてそうだったね、と言うだろうか。

どう思っているのでしょうね。命日に他に書きたいことがあったのにあまりに暑いからこんな事を思い出してしまった。

時は止まっている

中森浩子さんが2022年8月12日に投稿
4年前の今日あなたの遺体に対面した時、「そんなはずはない。きっとまた会える!」という言葉が瞬時に頭の中を支配した。そうやって生きてきたが当然の事ながらいつまで待ってもあなたに会えることはない。遺影のあなたは相変わらずの笑顔でそこで時は止まっているのである。
その後の世の中は思いもよらない形で変わって来た。不安と恐怖を与えれば大多数の民を支配できるという仕組みが出来てしまった。あなたが色々とやりかけのまま突然逝ったことは今でも納得する理由は見つからないけどひとつだけ良かったと思うのはこのような世界を知らなくて済んだという事だ。教室の運営もままならなくなったことだろう。様々な規制にあなたはイライラし絶望したことだろう。
良かったね、、、知らなくて良かったね。肉体の痛みも不安もなくて良かったね。天国でのびのびと自由にやりたい事をしていますか?会いたい人に会えましたか?

今日のパンケーキは少し柔らか過ぎたかな。コーヒーは楽しめましたか。
私は毎日一人で食事をし、猫と庭の少しの野菜の世話をし、海にも久しぶりに一人で運転して行ってきたよ。もうあなたが運転してくれることはないものね。
釣りに行った時私が根掛かりしたり針が取れたりしたらあなたはすかさず自分の竿を私にくれて私は釣りを楽しみあなたはそばでずっと黙々と修理をしてて、それがいつも自然だったからそれがどんなに恵まれたことなのかあまり気にも止めずに通り過ぎてしまった。あなたのいない世間に放り出されて、もうこの世にはあなたのように親切で優しくしてくれる人間はいないのだということを思い知る日々を送っている。
あなたに幸せな老後を過ごさせてあげられなくて本当にごめんなさいね。一人になった私をどのように見ていますか。
命日の今日くらい、会いに来てくれればいいのに。